キネシオロジーと仏教の共通点
キネシオロジーを勉強していくと、
キネシオロジーと仏教には、似ているところがあります。
それは何かというと、
仏教とキネシオロジーは、ともに人間の心身の健康に関心があるというところです。
仏教では、生きづらさのことを、「苦」といいます。
肉体的な苦しみだけでなく、精神的に感じる生きづらさも
すべてが「苦」です。
仏教の修行は、「悟る」ことが目標ですが、
「悟る」ことを目指して修行している限り、
修行の目指す方向が違います。
自分が感じる、生きづらさ、苦しみを
ひとつずつ手放していって、
最終的に、生きづらさを感じる要素がなくなった先に、
現れる境地が「悟り」です。
今では、僧侶の仕事は、葬式や法事をとりおこなう
専門家のようになっていますが、
それは歴史の上で変遷した結果であって、
仏教の本質とは関係がありません。
人生のなかで、感じる生きづらさを
ひとつずつ手放そうとするとき、
誰もがお釈迦様のお弟子なのです。
生きづらさを手放す方法はさまざまですが、
この世の生きづらさを手放す方法の一つとして、
私がおすすめしているのがキネシオロジーです。
キネシオロジーは、
筋肉の反応を利用して、
心身の問題を発見し改善することを目指しています。
このような筋肉の反応がなぜ起きるか、といえば、
その人の心の中に悩みの種のようなものがあるからです。
そして、当人が気づいているかどうかにかかわらず、
その悩みの種にまつわることに意識を向けたときに、
私たちの体が反応し、筋肉の反応としてあらわれるからです。
悩みの種が気づかないと、
その悩みの種が気づいて解決してもらおうと、
心や体にさまざまな反応となってあらわれます。
それを私たちは「生きづらさ」と感じたり、
「病気」と感じたりするのです。
私自身、得度していて、僧侶の資格を持っています。
お寺でも修行していたのですが、
いまは、キネシオロジーをメインにやっているのは、
キネシオロジーが独自の仏教修行だと感じるからです。