宣伝するのをためらう癖
今日、人にキネシオロジーの話をしているときに、
なんだか、自分のなかにもやもやしているものを感じました。
キネシオロジーを宣伝するのを
ためらう気持ちが残っているみたいです。
こういうときはたいてい、
筋反射テストを使いながら心の中を観察します。
今日の調整の様子です。
「私はキネシオロジーを広めていきます」 → オフ
おや、どうしたのだろう。
「私はキネシオロジーをする自信があります。」 → オン
そうか。自信はあるんだな。
「私は自信をもってキネシオロジーの話をします」→ オフ
ここに問題があるんだな。
「これについて、このまま調整していいです」→ オフ
もうちょっと自分で昔のことを思い出したほうがいいのかも。
これまで人に話をするとき
相手が急に怒り出したりするんじゃないかと、
常にビクビクすることが多いな。
特に相手が知らないことにたいして
いくらこちらが知識があろうが、
最初の口火を切るのが苦手でした。
その人が私の話を聞いてくれるそぶりをみせると、
別に話をするのは苦じゃないのですが、
最初の話し始めで、相手が拒絶するんじゃないか、
急に怒り出すんじゃないか
という思いが巡っていることに気づきました。
だから、キネシの仲間には、
とうとうと自分の知識をシェアするのに
苦しくないのに、
キネシをご存じない方に、
話をするのが苦手でした。
どうしてだろう?
そんなことを考えると、
昔の食卓の風景を思い出しました。
食卓は両親と兄2人と私でした。
兄と私は10才以上年を離れているので、
自分の思ったことを話しても
邪険にあつかわれることが多く、
まったく相手にされませんでした。
「このこと」 → オン
そうおもうと、小学校の時ひどくいじめられていて、
言い返すことができない自分を思い出しました。
そうだよな。
あのころって、暴力をふるわれたこともつらかったけど、
無視されたりしたことも多かったな。
話し出すと、鼻のトラブルで僕の発音が不明瞭になって
しまうときに、同級生のいじめっこがさかんに
馬鹿にしてきたよな
そんなことがあったら
僕の話をまともに聞いてくれない人に
話をするのは嫌になるのは無理もないかも。
「人は私の話を聞いてくれます」 → オフ
「これで調整していいです」 → オン
オーケー。
じゃあ、このテーマで調整しよう。
車の中だったので、手近に道具がなかったので、
EFTで調整することにしました。
EFTというのは、ストレスに感じていることを思い描きながら、
顔にあるツボをトントンと叩いていくことで、
ストレスの感情レベルをさげる手法です。
しばらくトントンと指で顔を叩いていると、
いろんなことが思い出されましたが、
2分もトントンしていると、
だんだんその事実をありのままに受け止め、
感情がゆらがなくなってきました。
そのあと、
「人は私の話を聞いてくれます」 → オン
おっ、調整がすんだかな。どれどれ。
「私はキネシオロジーを広めていきます」 → オン
やったー。調整完了だ!
ここで終わらしてもいいのですが、
じゃあ、新しい認知モデルを獲得するために、
どんなことができるだろう?
と考えます。
すると、自分の中で、
そんなことを思う必要はないな。
もっと自分の気持ちを認めて、
どんどんキネシオロジーを広めていこう。
じゃあ、手始めに、
このことをブログに書くとしよう。
そう思い立って、
このブログを書くことにしました。
いつも、こんな感じで調整します。
そのあと、別の人にキネシオロジーの話をしましたが、
そのときは臆せず話が出来たので、
また一つ前に進む勇気が出ました。